2001年度(平成13年)集中日本語研修に関する報告
国際交流事業運営委員会副委員長 久 保 卓 哉

 1 はじめに

  本学の姉妹校であるカリフォルニア大学リバーサイド校(UCR :University of California、Riverside)が派遣して、福山大学で日本語を学ぶ夏季集中日本語研修が、2001年6月30日から7月27日まで実施された。第8回目になる今回は15名の学生が来日して日本語および日本文化を学ぶとともに、カリフォルニア大学エクステンション(UCR Extension)で当プログラムのコーディネーターを務めるカレン・ダイアモンド(karen Diamond)女史が本学を訪れて関係者と交流し、研修の内容を子細に視察した。

 以下に、このプログラムを受け入れて実行した福山大学の、国際交流事業の一環としての活動を報告する。

2 準備と取り組み

 このプログラムを遂行するために周到な準備が行われた。

 2-1       プログラム再開への交渉

   2000年度に中断された当プログラムの正常化をはかって、1999年に石田寛前国際交流センター長が渡米し、相前後してアメリカ滞在中であった奥田邦男教授(当プログラム教育責任者)が関係者と連絡をとり、更には英語研修の福山大学学生を引率してUCRに出張中であった中山昭夫国際交流事業運営委員会委員長がカレン・ダイアモンド女史との交渉にあたった。そして以降はE-mailを通して迅速に打診、検討、対応が行われた。

2-2 国際交流事業運営委員会

全学から選抜された委員によって構成する標記委員会は、2001年度に入ると4月に第一回会議を開いてさっそく準備にとりかかった。教育部門と生活部門の二つを柱として、日本語教員の組織化、日本語教育のプログラム検討、ランゲージパートナー(日本語上達を手助けする福山大学学生スタッフ)、イベントの立案、小旅行の企画、日本文化講座の準備、ホームステイの確保、セクシャルハラメント問題の啓蒙等、必要不可欠の課題を検討し、それぞれの部門に最適な人材を配置して組織的な態勢を整えた。この会議はプログラム終了後の総括会議をふくめて都合5回開かれた。

2-2       教育部門

本プログラムの根幹である日本語教育の教員構成と内容の検討は、奥田邦男教授の主導のもと、広島大学浮田三郎教授とその博士課程在籍研究者によって行われた。使用する教材の選定、能力別クラス分けの設置、教育内容の検討等は数度にわたってミーティングが開かれた。また、授業が始まってからは毎日、進度の報告と評価、反省が行われ、それは新しく設置したインターネット掲示板上で展開された。詳細は当該担当者の報告をご覧いただきたい。

2-3       ランゲージパートナー

アメリカからの日本語研修生と交流し、日本語会話の相手をしながら共に友好を深める、という目的で組織するランゲージパートナーは、国際経済学部4年藤田洋祐をチーフとして全学的に広報が行われ、多くの学生が主旨に賛同して集まった。そのリストは別表の通りだが、彼らの存在が本プログラムを、更に効果的なものとした。それをここに特筆大書しておきたい。

2-5 生活部門

   生活部門の柱には三つある。小旅行と日本文化講座とホームステイである。

  2-5-1 小旅行

   日本の自然と歴史、文化に触れ、ショッピングと道中の触れ合いを楽しむことができる小旅行は、はるばる日本にやってきた研修生にとって最大の関心事であった。それを事故なく充足感をもって提供するために、何度も部門会議を開いて詳細なプランがねられた。その内容は、コースの選択からバスおよびその運転手の手配、費用の細目の検討、昼食時間の設定にまでおよんだ。小旅行の訪問地は、全国に名高い、鞆の浦、宮島、京都の三カ所であった。鞆の浦は、「福山松永ライオンズクラブ」およびその会員のご厚誼によって実現した。それらの様子をここに簡単に報告しておこう。招待されたアメリカからの研修生は、鞆の浦の自然と歴史的遺物に興味を示し、訪れた寺院で坐禅を組んで心身ともに打たれたようであった。また宮島は、世界遺産である厳島神社の回廊と周辺の土産物店での買い物が好評で、帰路立ち寄った広島平和公園では厳粛な表情と態度をみせていた。一泊二日の予定で訪れた京都では、研修生の父親が長期出張の途次福山に立ち寄り飛び入り参加して、引率したJeffrey Nazzaro助教授と上谷芳昭助教授の心配をよそに、大いに盛りあがって楽しんでいた。

2-5-2 日本文化講座

   1999年のプログラムでは「お茶」と「お花」が行われたが、2001年は「陶芸」が実施された。本学には対外的にも高い評価を受けている陶芸部があり、4年生の稲岡忠之前部長が細部のプランを組み立て実行した。その内容は、粘土の準備からロクロの回し方の指導、実演披露、絵入れ、釜入れなど陶芸の全容が体験できるもので、すこぶる好評であった。閉講式までの短い期間に、乾燥、焼き上げを済ませた稲岡前部長が、さよならパーティーの会場で研修生一人一人に作品を手渡したときは、やんやの喝采を浴びた。

2-5-3 ホームステイとホストファミリー

   当プログラムのもう一つの目玉はホームステイをして日本の家庭に入り、畳の間の生活をすることにある。日本食を食べ、日本式風呂に入り、家族と一緒に近所を散歩することは、初めて日本を訪れる研修生にはたまらない魅力であるらしい。それが可能となるためには、引き受ける家庭(ホストファミリー)がなければならない。これを語るにはまず、地元の石井直文氏を会長とする「福山大学留学生教育振興協会」の支援と厚誼に対して謝意を表しておかねばならない。つづいて小川育郎氏を会長とする「福山松永ライオンズクラブ」の支援と厚誼に対して謝意を表しておかねばならない。つまりこのプロジェクトは、単にカリフォルニア大学と福山大学の間で行われる大学間の事業ではなく、地域の理解と支援がなくては一歩も進まないプロジェクトなのである。今回は15名の研修生に対して、31家族から引き受けても良いとの申し入れを受けた。

   研修生一人とホストファミリー一つを結びつけるにはクリアしなければならないさまざまな条件がある。研修生のホストファミリーへの要求は明解で、喫煙者がいない家庭を望む、ペットは犬はOKだが猫はNO、小さな子供がいる家庭はNO、同年齢の子供がいる家庭を望む、ベジタリアンなので肉は食べない等、その条件は多岐にわたる。また日本の家庭でも、門限を守って欲しい、タバコを吸う学生は遠慮したい、学校に行かない日は家族と行動を共にして欲しい等、期待と要望がさまざまにある。すべての条件を満たすことは困難だが、地域の支援と双方の歩み寄りによって全員がホームステイを体験することができた。

2-6 セクシャルハラスメント防止

あってはならないことだが、軽い気持の言動がセクシャルハラスメントとなることがある。それは重大でかつ深刻な結末を引き起こすことが多い。大学としてはそれを防止するために、委員会委員(教員)と、ランゲージパートナーの学生、およびホストファミリーの家庭のそれぞれに対して説明会を開いた。それが杞憂であったと述懐できることを望んでいたが、幸いにしてそういう問題は発生しなかった。


3 アメリカ英語教員の支援

   本学には4名のアメリカ人教員がいるが、全員でよいチームワークをはたらかせ、毎日だれかが研修生と接するようにしてくれた。16時の授業終了後に15分程度のホームルームの時間を設定し、研修生からさまざまな意見を聞いた。それには、ドルの両替、クレジットカードの使用、体調不良、理解度テストへの不安、ホストファミリーへの要望等、アメリカ的な本音の吐露があったようだ。その一つ一つに対して彼らは、根気強くしかも曖昧にしないで、答をみつけるまで動き回ってくれた。したがって研修生たちは彼らに対して全幅の信頼と敬意の心を抱いていた。その活動の一端は別題の英語文によって紹介されているのでそれをご覧いただきたい。

 4 その他

    上記以外に気づいたことを述べておきたい。

4-1 保健室の役割

   保健室および石井邦恵看護婦の存在は大きかった。元気な研修生たちも、日本の夏の気候に不慣れ、ホームステイ家族との心労、日本語研修のタフなスケジュール等が原因で、次第に体調を崩す学生が出てきた。身体的のみならず精神的にも疲労してきたことが見てとれた。その原因は多様だが、ひとことでいえば日米の文化摩擦だと言える。具体的な例をあげることは差しひかえるが、日本流の好意が彼らに干渉と映り、米国流のふるまいが日本側には軽視と映るようなことがあったわけだ。そんなとき、保健室の清潔なシーツと、はっきりと目をみて、どうしたのなんでも話してごらんと語りかける石井先生の、温かい上にはつらつとした態度は、国籍を超えて人のこころに響くものがあった。

4-2        ブルガリア、ソフィア大学留学生

  本学に留学中のツベテリナ・イバノバさんが研修生の日本語相手としてLanguage Partnerの役をかって出て、毎日のように教室に姿を見せていた。二年前に来日したときはブルガリア語と英語とロシア語は堪能だったが日本語は片言しか話せなかった彼女にとって、日本語を修得することは並大抵の苦労ではなかったはずだ。彼女はアメリカからの研修生を人ごととは思えなかったように見えた。他の日本学生と同じようにパートナーとして研修生の横に座って日本語の相手をする姿は、まるで日本学生そのもので、研修生の中にいた中国や韓国の血をひく米国籍の学生の方がはるかに西洋的だった。日本語を話す言語活動が、彼女の表情やしぐさまで日本的にしていた。それが研修生の中にいるとはっきりと分かった。いつの間にこのように日本にとけこんだのだろうとびっくりするとともに、彼女のたゆまない勉学姿勢に打たれた。

 5 まとめ

 閉講式後のさよならパーティは、研修生の他に、ホームステイ先の家族、ランゲージパートナーの本学学生、日本語教育の先生などが集まって、盛大に行われた。全体が次第に一つの心に合体しはじめ、名残を惜しんでいつまでも記念撮影のかたまりがくずれなかった。このプログラムが成功裏に終了しつつあることが見てとれた。

しかし課題がなかったわけではない。委員会全体が有効に機能したとはいえず、組織上の問題を残した。また、ホームステイに関して、あらかじめ解決しておくべき事柄があったのだがそれを怠ったという問題点があった。

だが、最大の目的である日本語研修という教育上のプログラムは、十分な成果をあげることができた。これはひとえに日本語教育を実践した講師の先生方の力による。その成果はうしろに掲載する研修生の日本語作文を読めば一目瞭然である。ここに改めて感謝の意を表しておきたい。