【重松文宏氏講演内容】

 静馬と義理の弟が、戦争で生家の加茂町粟根に疎開していた井伏を訪ねた時(昭和20年)、井伏47歳、静馬42歳であった。焼き物、魚釣り、植物、と、話題が合った上に、互いにユーモアに富んだ二人で、これが二人を結びつけた。

井伏鱒二揮毫の碑
(現 小畠町役場前)


 井伏は揮毫を嫌った人で、全国に井伏が揮毫した碑は、小畠以外には二基しかない。市長が揮毫を願いに行っても、「僕は書かないよ。」と言っていたが、小畠には、「つつじが丘」と「小畠代官所址」の井伏揮毫の碑がある。


 小畠には、天井一杯に古文書があり、「古文書を見に来て下さい。」と井伏に手紙を書いたところ、昭和22年5月、井伏が小畠に来た。井伏は、「量の多いのに困った。」という。バスの終便に乗りおくれた井伏は、重松宅に一泊。

重松邸
2002年4月27日撮影

重松邸の下の田では
田植えに備えて水を張っていました
 この時、中津藩の代官所の関係者、村田聖(むらたさとし)所蔵の古文書数冊を借りて帰った井伏は、「小畠村の話」を昭和29年に発表している。その後、いわゆる「小畠もの」と言われる作品を、次々と発表している。
 『黒い雨』は、ぽつんと、出現したのでなく、「小畠もの」の延長線上にあり、良い陶土(重松)と名工(井伏)によって生まれた。
T.井伏鱒二と重松静馬の出会い