2.井伏から静馬にあてた書簡 (@の返事 被爆日記一見し度く) − 資料A 昭和37年7月2日
V.「黒い雨」の成立過程
【重松文宏氏講演内容】
資料を掲げて講演する重松文宏氏 |
静馬の当用日記によると:
昭和37年7月4日(水)雨。
井伏先生より 「被爆日記は是非とも一見を願ひたく、書留でお送り下されば幸甚です。」と返事が来た。
又原稿の整理にとりかかる。
7月5日(木)今日も雨がふり続く。原稿の整理に日を暮らす。
7月6日(金)雨。一日中、原稿の整理。十二時まで。
7月7日(土)曇、晴天。くるみ丘の揮毫、到着。
7月8日(日)曇、晴天。午前中原稿整理。
7月9日(月)雨が降ったり止んだり。一日中原稿整理。
7月10日(火)曇天。原稿の整理完了。
7月11日(水)曇天。被爆日記を送る。
二冊の重松日記を井伏に送った。これは今、手元にはない。
昭和38年の年賀状(井伏から重松宛):
小説の材料としては非常に触手が動いたものの原爆地獄の生々しい記録に圧倒され…
昭和38年3月29日:
このまま預かっても宝のもちぐされ、犬がおあづけを食ったようなもの、返したい。
と井伏。
井伏の心の揺れ動く様子がよく分かる。
【
井伏鱒二から重松静馬への葉書】
碑文字は「くるみが丘」と書いて別送いたします くるみはおそらく小畠の気候風土に向くと思ひます ゴボー風の深い木ですから移植するときには注意を要します
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