3.井伏から静馬にあてた書簡 (『新潮』に書くことに決める) − 資料B             昭和39年10月26日
V.「黒い雨」の成立過程
 
 【重松文宏氏講演内容】
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資料に目を通しながら熱心に聞く 三和町「読書友の会」の人々


前回の手紙(昭和37年7月2日)からこの手紙まで、二年三ヶ月の間がある。
この間、井伏は殆ど作品を書いていない。
構想に専念したようだ。
手紙に井伏はこう書いている。
さて例の小説のことですが、やはり初めの振り出しに戻って「新潮」に書くことにしました。小説の筋書はつくり話にして事件もつくりごとにするつもりです。「日記」にある悲惨な状景は出来得る限り摂取して、人、馬、牛、鳥、魚など生物の惨状はそのまま絵取らなければならないと思います
昭和40年1月『新潮』に第一回を発表。重松は、福山の藤田内科で調べて、井伏に報告している。
ここに 表札がある。これは、日本テレビが映画「黒い雨」で使ったもの。
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映画「黒い雨」「で日本テレビが使った表札を掲げる重松文宏氏
閑 間 重 松
    シゲ子
    矢須子

      
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