5.井伏から静馬にあてた書簡 (被爆の取材依頼) − 資料D 
     昭和40年9月4日
V.「黒い雨」の成立過程
 
 【重松文宏氏講演内容】

咳をする人もなく聞き入る会場の様子
部屋の前に貼られた 会場案内
「読書友の会 様 会場」




   手紙に井伏はこう書いている。

被爆のことについての話、今年中にノートを取りたいので農閑期に小畠へ伺ひます。新潮に載せてゐる原稿は、どうせ今年中には終らないと思ひます。来年の四月か五月頃までだらだら続くかも知れません。
 
井伏は福山に泊まり、50人以上の人から聞いた、と「私の道」(中国新聞 平成元年3月15日)に書いている。
ここに録音テープがある。これは昭和55年3月末、大学生高橋さんが重松を訪ねてインタビューしたもの。昭和55年10月に死去した重松の、半年前の声が入っている。高橋さんがこのテープを大事に保存していて、昨年私に送ってくれた。女性の声が高橋さん。重松以外に男の声が入っているのは高橋さんの恩師の人。
【テープに録音された重松の話】 筆記者:久保卓哉(一部分のみ)     
昭和40年12月12日、角屋旅館に、5人の被爆者が集まりました。
それは「話すも涙、聞くも涙」でした。
録音機を役場から借りてきて…
甲神部隊に入っていた人は誰か…
テープから流れる重松静馬氏の声が聞こえると、周囲の人々から、「おお、そこに重松さんがいんさるみたいじゃ。」「げに、あんなんじゃった。」という声が聞こえてきました。(久保)

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