【重松文宏氏講演内容】

たくさんの資料を机の上、座の脇に準備して講演する
重松文宏氏


昭和41年11月20日の書簡の時、井伏は68歳、重松は63歳であった。宛先が、岡山市岡山大学病院泌尿器科病室二〇二となっている。この時、重松は入院治療中であった。
十一月十七附の奥さんのお手紙では今度手術を受けられたとのことですが、経過はいかがなものかと案じられます。

今度「黒い雨」が野間文学賞を貰ふことになりましたが、重要モデルが病気とあっては著者も少し気がひけます。それに、あの作品はルポルタージュですから文学賞に該当するかどうかも考えなくてはなりません。

しかし作品が一人歩きをしてゐるものと思ふことにして受賞することにしました。

いったん発表してしまった作品は人任せにするよりほかはないと諦めます。授賞式のとき、そのことを私は受賞者の言葉として述べるつもりです。

実のところ、あの材料ならもっとうまく書けなくてはならなかったのです。私は自分の実力不足をつくづく感じます。その点、モデルに対して「ごめんなさい」と脱帽します。
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V.「黒い雨」の成立過程
 7.井伏から静馬にあてた書簡 (モデルに「ごめんなさい」と脱帽) − 資料F
     昭和41年11月20日