井伏鱒二著『黒い雨』に、主人公、閑間重松(しずましげまつ)として登場する、重松静馬(しげまつしずま)さんの御子息、重松文宏氏による講演が、三和町大字光信の、さんわ光信会館であり、約三十名の市民が、次々と語られる興味深い話に聞き入りました。 これはその時の記録です。 
資料を示して講演する重松文宏氏
現在、広島県神石郡三和町の教育委員長の任にある重松文宏氏は、2001年5月、筑摩書房より重松静馬著『重松日記』を出版し、大きな話題を呼びました。また、2002年1月27日には、福山市神辺町のかんなべ町立図書館で、「黒い雨と重松日記」と題した講演を行っていて、今回が第二回となります。
「父を重松、井伏鱒二を井伏と言わせてもらいます。」という語りで講演は始まりました。この最初の言葉は、内容が事実に基づいた客観性に徹したものであることを、示していました。また、講演冒頭で、参考文献として山梨県立文学館「資料と研究」-第7輯-があることが紹介されました。

  重松文宏氏作成資料 目次 (クリックすると講演内容が現れます)  

T.井伏鱒二と重松静馬の出会い

U.「重松日記」の浄書


V.「黒い雨」の成立過程

1.昭和37年6月26日 静馬から井伏にあてた書簡 (高覧の依頼) − 資料@
2.昭和37年7月2日 井伏から静馬にあてた書簡 (@の返事 被爆日記一見し度く) − 資料A
3.昭和39年10月26日 井伏から静馬にあてた書簡 (「新潮」に書くことに決める) − 資料B
4.昭和39年12月5日 井伏から静馬にあてた書簡 (「新潮」の第一回のゲラ刷り) − 資料C
5.昭和40年9月4日 井伏から静馬にあてた書簡 (被爆の取材依頼) − 資料D
6.昭和41年7月29日 井伏から静馬にあてた書簡 (「新潮」へ最終稿を) − 資料E

7.昭和41年11月20日 井伏から静馬にあてた書簡 (モデルに「ごめんなさい」と脱帽) − 資料F
  重松文宏氏講演終章
講演内容の記録及びこれらのコンテンツの作成は、人間文化学部久保卓哉が行いました

講演

『黒い雨』の成立過程
  − 往復書簡を中心として −


重 松 文 宏